いじめられっ子がラグビーを始めて、日本のトップレベルに駆け上がった話

小学校・中学校といじめられていた男の子が

高校でラグビーを初めて、全国大会出場を果たして、

名門大学のラグビー部で更に飛躍して

社会人になってトップリーグ昇格を成し遂げた人の話です。

先日初めてこの話を聞いた時、

いかにも美しい成功ストーリーではなく、

人間の弱みとか、人間臭さを感じる、すごくリアルな話だと感じました。

それでも色んな出会いや出来事があって

大きなことを成し遂げたという

人生の面白さ、不思議さが感じられたので、

ここでみなさんに紹介したいと思います。

人生って面白いなぁ。

そのまさに主人公となるのは、

僕のNTTラグビー時代の1つ上の先輩にあたる

「飯田 哲(いいだ さとし)」さんです。

左が飯田哲さん ※本人提供

飯田さんはNTTComの現役ラグビー選手時代は

体重約120kgの重量プロップとして活躍しましたが、

小中学校の頃はまだ体が小さく、運動も苦手で弱気な少年でした。

阪神・淡路大震災の関係で故郷の兵庫県を離れ、

徳島県の中学校に通っていた飯田さんは、

学年の番長的立場のいじめっ子に

体の小ささと気の弱さに付け込まれ、

いじめられていました。

殴られることなんかもあり、

精神的にかなりギリギリの状況まで

追い詰められていたんだそうです。

10人兄弟の飯田さん。

ただでさえ家のことで忙しいご両親には、

決していじめられているなんて言えなかったのだとか。

妹や弟たちにも、兄貴がいじめられているなんて

情けなくて言えませんでした。

中学の卒業を間近に控えたある日、

そのいじめっ子(というと聞こえは可愛いですが、非常に悪質ないじめです)は飯田さんにこう言いました。

「おれは徳島の高校でラグビー部に入るぞ。お前は何かすんのか?」

咄嗟に飯田さんは返しました。

「俺もラグビーをやる…」

飯田さんは運動部に入ったこともなければ

ラグビーなんて見たこともなかったのですが、

相手に合わせてついこう言ってしまいました。

「お前みたいな弱いやつにできるわけないだろ」

そう言い返されたこの時の悔しさは

いまだに忘れられないそうです。

そして、飯田さんのスイッチはここから入ります。

当時マンガの「はじめの一歩」を読んでいた飯田さん。

このマンガを読んだことがある人にはわかりますが、

主人公の「一歩」はいじめられっ子で、ボクシングを始めたことで名を挙げ、

当時のいじめていた子たちが

知らず知らずのうちに一歩を応援する立場になっていたというストーリーです。

飯田さんは、この一歩に激しい共感とあこがれを感じ、

さらにはラグビーが好きだったお父さんが

「どうせやるなら強豪校に行ってみろ!」

と背中を押してくれたこともあり、

地元兵庫県の名門「報徳学園」でラグビーをやることを決めました。

報徳学園のラグビー部は

花園(ラグビーの全国大会)常連校であり、

ラグビー部員はスポーツ推薦がほとんど。

ここに飯田さんは受験で入学し

ラグビー部の門戸をたたきました。

中学で運動部に入っていなかった生徒は

ラグビー部員の中で飯田さんだけだったそうです。

そして初めての練習に参加した飯田さん。

今までろくに運動をしてこなかった飯田さんにとって、

その練習の厳しさは想像を絶するものでした。

翌日、激しい体の痛みに襲われ、

さっそく部活をサボります。

練習に行きたくなければ、勝手に休んでいいと思っていた飯田さんは、

(本当に休んでいいと思っていたそうです!)

アイスを食べながら、遠くからラグビー部の様子を見ていました。

「すごいなぁ、よく走るなぁ」

さっそく心が折れた飯田さんです。

(こういうところが凄くリアル…)

なんとそれから

「1週間に1回だけ練習に行く」

という生活を1年間続けます。

1年間も!

あまりの辛さで、1週間に1度しか参加できなかったのだそうです。

週に一度練習に行っては、

それから一週間は勝手に無断欠席。

そして一週間たつと、何事もなかったかのように練習に参加する。

部員からは変な目で見られても、

淡々とそうしたマイペースな参加を続けていました。

監督はおそらく見守ってくれていたのでしょう、

叱られるようなことはなかったそうです。

そんな日々が続いたある日、

監督は飯田さんのご両親との二者面談を試みました。

練習の参加頻度があまりに少なく、

そしてあまりに辛そうなので

「もうラグビー部を辞めさせてあげてください。」

そうご両親に伝えることが目的でした。

面談でご両親とお会いすると、お母さんが泣きながら監督に話しました。

「息子をいつもありがとうございます」

「あの息子が毎日頑張っていて、本当に嬉しく思います」

そうです…!

飯田さんはお母さんに、練習をサボっていることを伝えていなかったのです。

実は練習に行かない日は、近所で時間をつぶし、

帰り道にある公園の水道と砂で練習着を汚してから帰っていました。

「あなたにラグビーなんて無理よ!」

最初はそんな風に言っていたお母さんですが、

息子が日々ラグビーを頑張っていると思い、

毎日大きなお弁当を作って送り出してくれていました。

夜帰宅してからも、温かいご飯を作って待っていてくれていました。

お弁当は、練習に参加したフリをして食べてから帰っていたそうです。

週に一回とはいえ、なんとか参加する気持ちを作ることができたのは、

このお母さんに対する

「申し訳ない」

「辞めたいなんてとても言えない」

そんな気持ちがあったからだそうです。

そんなお母さんを面談で目の当たりにした監督は、

飯田さんが週に一度しか練習に参加していないことを、この場では黙ってくれていました。

面談が終わり飯田さんは監督から叱られ、反省し、

お母さんにこれまでのことを正直に伝えて謝りました。

お母さんはひどくショックを受けていたそうです。

ここで飯田さんは奮起します。

監督に恩義を感じ、そしてお母さんにこれ以上

悲しい思いをさせてはならないと思った飯田さんは、

この日から毎日きちんと部活に参加することを決め、

監督も「お前がやる気ならとことん鍛えてやるぞ」

と特別メニューを用意してくれました。

毎日辛いながらも、歯を食いしばってそのメニューをこなし、

お母さんが作ってくれる山盛りご飯を食べているうちに

運動をまともにやったこともなかった飯田さんの体は

どんどん大きくなり、そして強くなっていきました。

いよいよ3年生となり、

全国大会予選での準決勝。

いよいよ飯田さんはプロップとして

スタメンで試合に出場するチャンスをつかみました。

気が優しい飯田さんは、

ともに一生懸命頑張ってきた後輩たちを差し置いて自分が試合に出ることに疑問を感じ、

さらには自分のプレーに自信が無かったことから

監督にスタメンを辞退する旨を伝えます。

(ここでもまだ気が弱い飯田さんです)

すると監督からは

「そんなことを言われた後輩はどう思うんだ」

「後輩はそんな理由で試合に出ても納得しないぞ」

「そんな発言はスポーツマンじゃない」

そのような内容で諭され、

自信を持って試合に出場したそうです。

その後、見事優勝を勝ち取り、

報徳学園は全国大会(花園)への出場を果たしました。

あの時徳島の高校でラグビー部に入ると言っていた、あのいじめっ子は、

名門・報徳学園のプロップとして花園で活躍する飯田さんを

見ていたのでしょうか?

見ていたなら、何を感じていたのでしょうか?

高校での活躍もあり、

飯田さんは大学ラグビーの名門・日本大学へラグビー推薦で入学。

同期には、元日本代表のタウファ統悦さんがいます。

日大時代の飯田さん(中央)。右が元日本代表のタウファさん。※本人提供

そして大学卒業後は、

当時社会人2部リーグに所属していた

NTT東日本から声がかかり、更にラグビーを続けます。

このNTT東日本が、NTTコミュニケーションズへと移管され、

あれよあれよという間に強化が進み、

いよいよ1部(トップリーグ)昇格を決めたそのシーズンに、

飯田さんは現役を引退することとなりました。

深刻な首のケガが続き、

日常生活に支障をきたすレベルになってきたことから

元オーストラリア代表のコーチ(ベン・ダーウィン)から

引退を強く勧められての引退でした。

「引退後の人生は長い」

「飯田の人生を、半身不随の生活にさせるわけにはいかない」

現役継続を強く希望する飯田さんは、こうしてコーチに説得され

シーズン途中に引退を決めますが、

部員やスタッフからの要望もあり、

シーズンの残りの期間はスタッフとしてチームに残り、貢献しました。

飯田さん(右)。二人とも腕がめちゃくちゃ太いです。※本人提供

NTTComでプレーしていた、ある日の秩父宮ラグビー場。

その日の試合メンバーから外れ、

チームテントで運営サポートをしていた飯田さんでしたが、

偶然会場に来ていた、高校時代のコーチと再会します。

そのコーチは、飯田さんがNTTComのバッグを持っている姿を見て

その場で涙してしまったそうです。

なぜか?

そのコーチは、飯田さんが

社会人までラグビーを続けていることを知らなかったのです。

弱くて体力が無かったあの飯田さんが、

社会人までラグビーを続けて、

しかもトップレベルでプレーしていることに驚き、感動したんですね。

NTTComでプレーする飯田さん(奥)

この話は、いじめられていた過去だとか、

練習のつらさから逃げ出した話だとか、

決して順風満帆なサクセスストーリーではないし、

本当の人間臭さがあって、

山あり、大きな谷も何度もあり。

この経験は、

例えば同じような悩みを持つような子供たちや

悩みを抱える人なんかに

何か影響を与えられる話なんじゃないか、

そんなことを感じて、本人から聞いた話を

こうして文章にしてみました。

少なくとも、僕は勇気をもらえました。

だって、小学校、中学校の時に体が小さくていじめられてた子が、

その10年後くらいに、

元日本代表、ニュージーランド代表の選手なんかと同じチームで

そんなトップレベルでプレーしてるなんて、誰が想像できるでしょうか。

やっぱり人間て辛いことから逃げたくなるけど、

たとえ一度や二度逃げちゃったとしても

こうして一つの成功体験に繋げることができる、

予想もしなかった出会いや出来事が、

物事を良い方向へと導いてくれる事があるのです。

もちろん本人の、悩み、もがき苦しんだ努力があった。

飯田さんの場合は、高校の監督という恩師との出会いが

大きな人生の転機になったのではないでしょうか。

報徳学園ラグビー部の監督さんは、

飯田さんが卒業後も時々、

現役生徒たちに飯田さんの話をするのだそうです。

生きていると「谷」の日々が続くこともありますが、

僕はこの話を聞いてとても前向きになれましたし、

勇気をもらいました。

見てのとおり、とっても穏やか〜で優しい性格の飯田さんです(中央)※本人提供

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